GOMAXXUS 73
開き直れるか、追っかけてしまうか
”賢人40にして迷わず”とか、”男は40に成ったら自分の顔に責任を持て”とか
何故、40歳について語られているのかな?...なんて思っていた。
40を3年半過ぎた今、振り返ると、考え方に知恵がついてきたみたい。
たとえば、以前は行動に後悔をすることが多々あったけど、無意味に見えてきた。
と言うか、後悔を無意味に観測する技を身につけてきた。
もちろん、”ああして置けばよかった”と思うことはある。その後が問題。
以前は、その後悔の念の精神状態で心が揺れる。そしてまた、後悔を繰り返し
共鳴して、その揺れはドンドン大きくなっていく。
パニックになって、意味不明の行動や言動で傷口を広げる悪循環。
そして、環境や、誰かの責任にして、精神をかろうじて保つこともあった。
僕は、人に雇われたことも無いし、雇ったことも無い。共同経営が一度だけ。
人に管理されたり、人を管理すること、また管理し合う事がないと
仕事のモチベーションなどのメンタル的な部分は、自分が頼りで、自分でコントロール。
日々、本を読んだり、アドバイスを受けたり、実践したり、訓練して、メンタルを磨く。
そして、今、僕が使っている技の一つに、”選択の自由と理由 ”がある
”選択(遭遇)に自由は無い、理由があるだけ”という呪文。
これは、誰にでも通用するかは、わからないけど、僕には、効いている。
何かをしてしまった時に、その選択以外の道があったかどうか、決定的な答えは無い。
なぜなら、選択は一度だけ、過去に戻って選択をやり直す事が出来ないから。
自由に選択したと思っていても、選択させられているのかもしれない。
そうではないかもしれない。とにかく考えても、あったのかないのか証明ができない。
まるで、星が何故、綺麗なのかを証明しろと言っているようなもの。
もし、選択に自由があった言い切れないのであれば、選択の理由を見つけようと思った。
そうやって、ずーと理由を見つけて行く。感動する理由の発見には、数ヶ月、数年かかることもある。
でも、いつか、”そうか!そうだったんだ!だからあの時、あの選択をしたんだ!”と、解決する。
結局、時が解決したのかもしれないが、悔やんだり、ふさぎ込んだりすることを、最小限に留め
時が解決してくれるまで、なぞなぞを解くように、そこまでの過程を楽しめる。
と言うことで、心を一定に保って、GO!MAXXUS! いろいろ合ってもこの調子。
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